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神社の位置・京都編(上・下御霊神社)

京都の吉田山山頂にある吉田神社から見て、春分の日没はちょうど京都御所の方向にあたります。
反対にいえば、京都御所から見ると春分の日と秋分の日の出は京都御所から日の出が見えることになります。



また、吉田神社から見て夏至の日没の方向に上御霊神社があり、冬至の日没の方向に下御霊神社があります。


つまり、上・下御霊神社と吉田神社は正確に正三角形を形成しているのです。


このような夏至や冬至、春分・秋分に特定の場所から日の出没がおきる仕組みを「自然暦」といい、世界中で数多くあるのだそうです。


吉田神社は平安京の鎮座神としてその頂上に鎮座された社です。



ところで話は変わりますが、平城京の次の都はどこだかごぞんじですか。
平安京?



いいえ、残念。
その前に長岡京というのがあったのです。




その長岡京は莫大な資金と人手を投入して作った都だったのにたったの10年でもうや~めたって感じで打ち捨てられてしまったのです。
結構すごい都だったのですよ。



最近の発掘調査では天皇の住居(大内裏)や縦横の道(条坊)も完成し十分使えることが明らかになってるのです。
桂川、木津川、宇治川の合流地点にあり水上交通の要所でもあったのです。
規模も平安京以上だったのですよ。




では、何故桓武天皇はそんな立派な都をたった10年で捨ててしまったのでしょうか。
その理由は教科書では洪水だとか災害だとか流行病だとか習った記憶がありませんか?



え~、長岡京自体の記憶がない?
まぁそんなものかもしれませんね。


でもね、本当はそんな理由ではなかったのではないかと言われているのです。


桓武天皇は皇太子を選ぶときに本当は弟の早良親王にということになっていたのですが、次の天皇を弟に譲るのがどうももったいなくなってしまったみたいなのです。




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